誰にとっても、愛する人、親しい人、長年大切な時間を一緒に過ごした方との別れはつらいものです。
突然起こった「死」という現実は、時に実感がわかず、中々受け入れられるものではありません。
葬儀(お葬式)はお別れの儀式ですが、決して終わりの儀式ではありません。
大切な人との思い出や、その人のお姿をしっかりとこころに刻んでいく時間です。
そして、残されたものにとっては、葬儀(お葬式)を出発点として、
そこから始まっていく歩みがあります。
大切な人の肉体は失われても、
その人がすでに残してくれたもの、
すでに教えてくれていたものがあります。
それを受け止め直し続けていくこと、
それがその人と、ともに歩んでいく人生の始まりです。
萬福寺では、ご一緒に丁寧に法要を勤めながら、その歩みのお手伝いをさせていただきます。
ご法事は、亡くなられた人をしのびつつ、
私自身の人生を振り返る大切な時間です。
ご一緒に、丁寧に、仏さまに手を合わせてまいりましょう。
萬福寺の本堂は全てイス席となっておりますので、正座が苦手な方でもご安心ください。
お1人や、お2人でもかまいません。
また、30名や40名でもお座りいただけます。
ご法事の全体の時間は45分程です。
(読経時間は25分程、読経前か後に、
お茶とお菓子をお出ししています)
そのほか、ご自宅や、貸し会場でも勤められます。詳しくは、お寺までご相談ください。
※現在、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、以下の対応をしております。
1)少人数でのご参詣をお願いしております。
2)本堂入り口での手指消毒にご協力ください。
3)僧侶はマスクをしたままで読経をお勤めいたします。
4)お茶はお出ししておりません。お菓子のみお持ち返りいただいております。
萬福寺は昔ながらのお寺です。
段差も多いですし、階段もあります。
けれども、今まで車いすの方や、杖を使われている方も多くお参りしていただいております。
多少の段差でしたら、車いすでも何とかなりますし、本堂の階段も手すりを使っていただいたり、ご家族の手助けがあれば大抵の方は上がって来られるかと思います。
お寺の者も、出来る限りのお手伝いを致します。
また、室内用の車いすの貸し出しもしていますので、本堂内は車いすでご移動いただけます。
気になるようでしたら、ご家族の方が事前に起こしいただき、動線の確認をしていただければと思います。
何より、萬福寺は木や花が多くあり、四季を感じられる静かな境内は、介護や支援が必要で普段あまり外出なさらない方にこそ、訪れていただきたいお寺です。
是非とも皆さまのご参詣をお待ちしております。
市役所などに行けば、一人の人が亡くなった日を「死亡年月日」といいます。
ところが、お寺や、ご自宅でも、亡くなった人を思う時、
人は、亡くなった日を「命日」と呼んできました。
それはなぜでしょうか。
命日は「いのちの日」と書きます。
これは、私たちに先立って亡くなっていかれた人たちから、私たちへ
「どうか、あなたがこの世に生を受けた、そのいのちの意味について、あきらかにしてほしい」
と、問いを投げかけられているということです。
それは、亡くなっていかれた人たちが、
私たちに残してくださった「贈り物」でもあります。
それは、亡くなっていかれた人たちが、
私たちにかけてくださっている「願い」でもあります。
親鸞聖人が書かれた『正信偈(しょうしんげ)』の冒頭には、
「帰命無量寿如来 南無不可思議光
(きみょうむりょうじゅにょらい なむふかしぎこう)」と書かれてあります。
必ず終わっていく、この限りあるいのちを見つめることを通して、
「無量(量ることのできない)なる寿(いのち)に目覚めよ」
「不可思議(人間の思いを超えた)なる仏さまの光に出遇え」
と教えてくださっているのです。
ご法事は、日常の生活から足をとめて、
亡くなった人を思う時でもあり、
そのことを通じて、
私たちがいただいている、
いのちの意味について、
あきらかにする日です。