今年(2021年)は聖徳太子1400回忌の年です。
実は恥ずかしながら、
最近まで全く知らなかったのですが、
実家の兄に教えてもらい、
聖徳太子(574~622)の1400回忌にあたる年と知りました。
当萬福寺にも、太子堂があり、
亡くなった荒木良正前住職が、
平成15年(2003年)に思い入れを持って建てたと聞きました。
(こちらはよく「六角堂ですか?」と聞かれるのですが、八角形をしています)
友人が住職をしている真宗大谷派寺院、
聖徳太子1400回忌にちなんでの連続講座がZOOMで行われるそうで、
私もさっそく申し込みをしました。
ご講師も港区了善寺住職の百々海(どどみ)先生ということで、聞けるのが今から楽しみです。
そういえば、最近聞いている法話の中でも、
一楽真(いちらくまこと)先生が次のようにおっしゃっていました。
『親鸞聖人は、法然上人にお出会いになる前に京都の六角堂、聖徳太子ゆかりのお寺にこもっておられます。
ここに親鸞聖人が山を下りられる時の課題が、顔をのぞかせています。
つまり比叡山では出家の僧侶として修行にはげんでおられたのです。
聖徳太子というのは在家の信者で、出家のお坊さんではありません。
ですから聖徳太子の六角堂に行かれたということは、一言で言えば
「出家のお坊さんではないところにも、仏教に生きるということは成り立つのか」
ということを、聖徳太子の生き方にたずねられたのです。
そうしたら九十五日目のあかつきに、
「どんな生き方のうえにも仏道を歩むことは成り立つぞ」
という久世菩薩の夢の告げを得て、
ようやく法然上人のもとに行くことになります。
だから山の修行がつらくて逃げだしたのではないのです。
山の修行は一見すると本当の道のように見えるけれども、出家した男性ばかりでしょう。
ですから体が元気じゃなければ修行も出来ません。
それが果たしてお釈迦様の教えなのだろうかという問いがあったのです。
言ってしまえば「女ならダメなのか」ということです。
また、体が病気になって動かくなったら仏教はダメだと言うでしょうか。
あるいは文字が読めない、お経が読めない人は仏道を学ぶことは出来ないのでしょうか。
お釈迦様はそんなに狭い教えを残されたのだろうかというのが親鸞聖人が山を下りた時の疑問です。
そして聖徳太子の「在家の信者のところにも道はある」というおこころを得て、法然上人のところへ行かれるのです』
あらためて読んでいて、
「どんな生き方のうえにも仏道を歩むことは成り立つ」
という言葉が力強く響いてきました。
次回から、このブログでも、
聖徳太子1400回忌にちなんで、
少し記事を書いていきたいと思います。
(萬福寺の書院に飾ってある、聖徳太子のお言葉です)