お寺の掲示板 12月のことばです

萬福寺の境内は、正門や駐車場を中心にイチョウの落ち葉🍂が黄金色に輝いています✨

12月も早くも半分が過ぎてしまいました。
遅くなりましたが今月の掲示板のことばを紹介します。
(実際の掲示板は12月頭に替えていましたが、色々な事がありblog更新を怠っていました😅)

👇2024年12月のことば

「煩悩どんとこい」

<副住職の感想>
「この言葉は福井県の妙好人(※)、小山貞子さんという方のお言葉です。
真宗は不断煩悩得涅槃と言われるように、煩悩を断じていく道ではありません。煩悩の身のままに救われていく、むしろ煩悩があるからこそ、阿弥陀さまの救いの目当てとなるのです。
「どんとこい」という力強い一言は、煩悩も私の心を超えて起こってきた頂きものであり、身構える必要はなく、煩悩から起こってくる生活の中の様々なトラブルを「仏の教えを聞く聞法の機縁」として頂いてきたということです。そこにそのまま手が合わさる、頭が下がる世界があることを私たちに教えてくださっています。
 ※妙好人=浄土真宗の在家(僧侶ではない人)の篤信者のこと」

今年は5年ぶりに除夜の鐘をつきます😊コロナ禍で中止になって以来です。なので煩悩に関する言葉が良いな〜と思っていたところ、以前聞いたこの言葉を思い出しました。
正確に言うと聞いたのではなく、法語カレンダーに載っていた言葉です。
カレンダーになるくらいですから、何度も味わって、頂き続けるように促されているということでしょう。

「不断煩悩得涅槃」、煩悩を断ぜずして涅槃を得る。ここには真宗の人間観があらわれているように思います。

「私という人間は本来清らかで、そこに煩悩の垢がついている。磨けば落ちる」という人間観ではなく、
「煩悩で出来た私であるのだから、臨終の時に至るその時まで、一瞬たりとも煩悩を離れる事が出来ない」という人間観であり、「その私が救われていく道はどこにあるのか」という問いに向き合われたのが親鸞聖人のご苦労ではないかと思います。だからこそ、阿弥陀によって救われなければならない私自身がはっきりし、教えを聞いていく生き方、お念仏を称える生活が始まっていくのです。

そんなことを書いていたら大谷大学の一楽先生が仰られていた「教えを聞くということはゴールではなく、スタート、出発点を賜るのです」という言葉を思い出しました。(私の聞き覚えです)

2024年は掲示板を設置して、毎月のことばを考える機会を頂きました。
そのことによって私自身が学ぶ時間を頂いています。有難いことです。
2025年も続けていきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします😊